市立小樽美術館 市立小樽美術館協力会

KANCHOの部屋

「オートマティスム 一原有徳モノタイプ×宮井保郎デカルコマニー展オープン

 モノタイプの一原有徳(1910-2010)、デカルコマニーの宮井保郎(1937-)というそれぞれユニークな版画技法による二人展が始まりました。

 モノタイプは金属板などに絵具やインクでじかに描画し、それが乾く前に紙をあてて図像を刷り取る技法です。

 一方、デカルコマニーは紙と紙の間などに絵具を挟んで押しつけることによって偶発的な模様を得る技法ですが、繰り返し使用できる版を用いず、一回きりで版面の描画や模様が刷り取られてしまうという原理は同じです。

 展示室に並ぶ二人の作品を見比べると受ける印象はずいぶん異なります。金属板の上にインクを塗り、それをペイントナイフなどでひっかいたりこすり取ったりして描画する一原の作品には金属部品が無限に連なったような硬質な光景が展開されています。生命の気配が感じられないその無機質な雰囲気はモノクロームということも影響しているようです。

 これに対して宮井の作品は転写が生み出す不可思議な形態と虹のようにカラフルな色彩によってオーガニックなイメージを喚起し、超細密なマティエールともあいまって見る者をミクロともマクロともつかない夢幻の世界へいざないます。

 小樽市内で長年額縁店を営む宮井とその顧客であった一原との間には長い交流がありました。約40年前、日本画からデカルコマニーに転じた宮井に対し、一原はいち早くそのオリジナリティを認め、後押しをしました。気に入った作品を自作と交換することもあったといいます。一原有徳記念ホールで開かれるこの二人展を亡き一原もさぞ心待ちにしていたことでしょう。

苫名 真

「中村善策と加賀の北前船主・西谷家展オープン」

 「中村善策と加賀の北前船主・西谷家」展が本日オープンしました。本展は、今年が中村善策没後40年、記念ホール開設35年に当たることを記念して開催するものです。

 西谷家は江戸中期、18世紀半ばに創業した加賀の北前船主です。大阪と松前を結ぶ海運業に従事していましたが、明治22年、五代目庄八の時小樽に進出。小樽倉庫を設立するなど倉庫業、回漕業へと事業を展開し、道内各地、さらには樺太にまで事業を拡大していきました。

 西谷家は故郷の加賀とともに小樽にも生活の基盤を置いていたため、事業だけでなく文化面でも小樽と深い繋がりを持ちました。中村善策への支援もそのひとつです。

 善策は15歳の時、西谷回漕店に入社しますが、五代目庄八の子息である六代目正治は早くから善策の才能を認め、目をかけていました。善策が画家を志して上京する直前の半年間、絵画に没頭できるよう山荘を提供したり、結婚後の住居を斡旋したりもしています。

 善策にとってはその支援がなかったら中央に進出して大成することができなかったかもしれないというほどの恩人であり、2人の交流は善策の大成後も長く続きました。正治の妻貞子を善策が描いた肖像画などからは、家族ぐるみの深い関係がうかがえます。

 本展覧会は2部構成で、まず1階の中村善策記念ホールでは、「晴れの装い・櫛かんざし」というテーマで西谷家に伝わる貴重な装身具を紹介します。2階の企画展示室では、小樽と信州を題材にした善策の代表的な油彩画をご覧いただけます。ぜひじっくりお楽しみください。

苫名 真

 

 

「後志美術散歩」

 市民の皆さんと美術館を巡るバスツアーに行ってきました。これは協力会の助成も得て隔年で開催しているもので、今回は後志管内を回りました。比較的近場のコースですが応募は多く、高い倍率の抽選を行い、定員いっぱいの40名の方々にご参加いただきました。

 この地域にはユニークな美術館や文学館が5館、4町にまたがって点在しています。岩内町の木田金次郎美術館と荒井記念美術館、共和町の西村計雄記念美術館、倶知安町の小川原脩記念美術館、そしてニセコ町の有島記念館です。羊蹄、ニセコの秀峰と裾野に広がる雄大な田園風景、そして荒波砕ける日本海。変化に富んだ景色を楽しみながら地域ゆかりの芸術施設を訪ねる周遊ルートは25年以上前に「しりべしミュージアムロード」と名づけられ、今ではすっかり定着しました。5館は共通のテーマのもとで毎年同時期に共同展を開催するなど、活動においても結びつきを深めています。

 今回は旅程の都合で、この5館の中から3つの個人記念美術館を訪問しました。最初に訪れたのは小川原脩記念美術館です。小川原は日本におけるシュルレアリスムの旗手として活躍したのち戦後は郷里倶知安に戻って画業を深め、やがてチベットやインドをテーマにした滋味あふれる世界へ到達した北海道を代表する洋画家です。ちょうど小川原を中心に創設された後志のグループ展「麓彩会展」の開会式直後で、出品作家のアーティストトークを聞き、また小川原の「麓彩会展」出品作について詳しく解説していただくことができました。

 次に向かったのは岩内町の木田金次郎美術館です。木田は有島武郎の小説「生れいづる悩み」のモデルとして知られています。現実においても、有島の助言を受けて岩内の地を終生離れず、漁師を続けながら絵を描きました。激しく奔放な色彩やタッチは、日本海の厳しい自然とじかに向き合うことから育まれたものです。岡部卓館長に開催中の「木田金次郎と岩内美術100年の水脈」展をじっくりと解説をしていただき、木田芸術の魅力に加え、岩内に根付いた美術の伝統についても理解を深めることができました。

 最後に訪れたのは西村計雄記念美術館です。共和町(当時は小沢村)出身の西村は戦後フランスに移住し、40年以上にわたってパリ画壇で活躍。柔らかな色彩とたおやかな曲線による抽象画は東洋と西洋の美の融合であると高く評価されました。学芸員の佐藤瑞起さんにお話をうかがい、ユニークな抽象絵画が生まれた背景や作品に込められた意味などについて深く知ることができました。

 3人の画家の代表作をじっくり鑑賞するとともに、彼らが生まれ育った場所に実際に赴くことで風土との結びつきも感じられ、充実した美術散歩になったと思います。
お忙しい中ご対応いただいた各美術館の皆様に心からお礼申し上げます。参加者の皆様はハードなスケジュールでお疲れになったと思いますが、次回もご応募いただければ幸いです。

苫名 真

 

 

 

 

「吉川千香子展オープン」

 「吉川千香子 土と火の遊び―無邪気な(非)器たち」展がオープンしました。

小樽生まれの吉川は高校卒業後上京し、武蔵野美術大学で彫刻を学びますが、常滑で出会った大甕に強く惹かれて陶芸に転向、以来独学でこの道を歩み続けてきました。

 活動は全国各地、さらに海外での個展が中心です。作品は器から人形、動物、椅子、テーブルなど多岐にわたります。

ろくろではなく、おもに手びねりによって作られるその作品は、どれもが子どものように天真爛漫で自由な造形を示しています。白磁に映えるカラフルな色彩もユニークな魅力です。

 展覧会名には「(非)器」というサブタイトルがついています。実際、展示されている作品は動物や人形がほとんどですが、吉川が手がける器も、把手が動物の形だったり、お皿に描かれた動物の絵に合わせて間仕切りが立ち上がっていたりと、いわゆる機能本位の器とは対照的なものばかりです。

 そのユニークな器を初めて見たとき、私は岡本太郎の「坐ることを拒否する椅子」を連想しました。岡本も座りやすさだけを追求した機能一辺倒の椅子を嫌い、顔がついていたり、凸凹があったりする、むしろ坐り心地の悪い椅子を制作しました。「人間と対等づら」をした椅子を作りたかったのだと語っています。

 吉川の器も単なる使いやすさではなく、駄々をこねたり、何かを語りかけたり、「人間と対等づら」をして、共に食事を楽しむメンバーとして作られているのではないでしょうか?

 ここに掲載した展覧会チラシは「心意気博物館」で撮影されたものです。当協力会の秋野治郎会長の私設博物館で、実家の薬局を改造し、小樽商人の心意気を示す印半纏や家具、スキーなど先人の暮らしを伝えるために作られました。実は秋野・吉川両氏は幼馴染。どちらも老舗商家でご近所同士だったのことです。

 個性的でカラフルな吉川作品ですが、ご覧のとおり、築135年超の古民家にもしっくりとマッチしています。これは作品にも空間にも暮らしの息づかいや手触りが込められていて、人間のように交感しているからかもしれません。

 展覧会場でも心意気博物館所蔵の古い家具とともに展示していますので、この雰囲気を味わっていただけるものと思います。ぜひお越しください。

苫名 真

 

 

「全国美術館会議」

 5月2526日と名古屋市で開かれた全国美術館会議(略称・全美)に出席してきました。全美は昭和27年に設立され70年の歴史を持つ最古最大の美術館横断組織です。現在の加盟館数は約400。全国の主な美術館をほぼ網羅しています。

 実は全国の美術館が参加する組織がもう一つあります。美術館連絡協議会(略称・美連協)というのがそれで、こちらは昭和57年に発足した全国約150の公立美術館が名を連ねる組織です。美術館の活動助成や学芸員の海外研修補助(私も若い頃お世話になりました)、また加盟館による共同企画の実施など、公立美術館とその学芸員にとっては大きな支えと励みになる活動が行われてきましたが、残念ながら2021年度末をもって主な業務を停止。実質的には現在、全美が唯一の業界団体となっています。

 ところで、施設の老朽化、予算の削減、コロナ禍による観覧者数減少など全国的に美術館を取り巻く状況は厳しさを増しています。また展覧会収支の改善や文化観光推進が強く求められ、大勢の来館者が望めない「地味な」展覧会が開きにくくなってきています。幸い当館では小樽の美術を検証する地に足のついた展覧会活動を継続していますが、このままでは美術館に求められる本来の役割―特に公立美術館においては地域の美術活動の記録や継承、振興がじゅうぶんに果たせなくなるおそれがあります。

 こういう時代であるからこそ、美術館同士の横のつながりは大切です。全美では美術館の原則や行動指針を定めるほか、博物館法の改正や著作権使用料改定にあたり、文化庁に要望書を提出するなど美術館を代表して積極的に声を上げています。また、いくつもの研究部会や委員会に分かれ、それぞれが活発に活動しています。先頃の石川県珠洲市を震源とする地震に際してもただちに災害対策委員会による関係各館の情報収集が行われました。当館は小規模館研究部会に参加しており、以前本欄でご紹介したとおり(2022.9.22)、昨年、全国から15館が参加する研修会・会合を小樽で開催しました。

 今後もこうしたつながりを通して現在の美術館が置かれている状況を的確に把握し、あるべき姿をたえず確認しながら、地域の公立美術館としての小樽美術館の使命をしっかり果たしていきたいと思います。

苫名 真

「ミュージアムショップ〈小さな旅〉オープンに寄せて」

本日はミュージアムショップ〈小さな旅〉のオープン、誠におめでとうございます。これまで美術館といえば展覧会を見るために訪れる場所だったのですが、近年ではそれだけでなく、そこに行けばいつでも何か楽しめる、特別な時間を過ごせるような場としても期待されるようになっています。そのための施設がカフェやレストラン、ミュージアムショップなどですが、小樽美術館にもついに待望のミュージアムショップが誕生しました。

 

まずショップの中身、品ぞろえがすばらしい。近隣のおみやげ屋さんで手に入るようなものではなく、ここだけにしかないアーティストグッズ、それも小樽ゆかりの作家の作品だけが並んでいます。小樽の美術に気軽に触れていただくための新たな発信基地になることを期待しています。

 

日々の運営は約30名のボランティアの皆さんにお手伝いいただくことになりました。不安もおありのことと思いますが、美術館の顔としての自覚と誇りをもって来館者に接していただくとともに、仲間づくりや美術を学ぶ機会としても大いに活用されることを願っています。美術館にとってもボランティア活動との協働は初めてのことです。美術館の活性化に向けて手を携え、ともに歩んでいくことを楽しみにしています。

 

〈小さな旅〉というショップ名のとおり、小さなスペースでのささやかな活動かもしれませんが、小樽美術館にとっては大きな可能性を秘めた存在です。今日のオープンは美術館の新たな歴史を刻む第一歩となることでしょう。

 

ミュージアムショップ開設にご尽力いただいた秋野治郎会長をはじめとする小樽美術館協力会の皆さん、言い出しっぺであり、オープンを心待ちにされながら昨年お亡くなりになった山本信彦前会長に心からのお祝いと感謝を申し上げます。また、長年使われず、廃墟のようになっていたこのスペースを70年前のオリジナルの状態に復元しつつ見違えるような魅力的な空間に再生してくださった美術家の佐藤正行さんにも深い敬意と感謝を申し上げたいと思います。

 

苫名 真

ミュージアムショップ・ボランティアの皆さんをお迎えして

来年2月1日のオープンに向けて着々と準備が進んでいるミュージアムショップですが、本日、ボランティアとして活動していただく皆さんにお集まりいただき、ガイダンスを行いました。

協力会の岩永副会長からショップの開設についてのご挨拶、宮井会計から協力会の沿革と活動趣旨についてのご説明があった後、私からは道立近代美術館のボランティア活動を紹介しつつ、次のようなお話をさせていただきました。

 

[一方通行から双方向へ]

ボランティア活動に対する考え方が変わりつつあります。支援する側と支援を受ける側との関係が、従来の一方通行的なものではなく、対等なパートナーへと変化しつつあるのです。お互いにとって負担もあるがメリットもある、お互いにとって不可欠である、という関係です。

美術館にとってボランティアは、業務をサポートしていただく、なくてはならない存在です。ただ、ボランティアを養成したり指導したりすることには相当な負担も生じます。実際、全国の美術館博物館のうち、ボランティアを受け入れていない館が6割もあるのです。しかし、近年は、市民参画の機会を設けること、つまりボランティアに活動してもらう場を提供することも、美術館の役割の一つであると考えられるようになってきています。

他方、ボランティア側のとらえ方にも変化が起きています。困っている人を助けてあげるという慈善的な意識だけでなく、自己実現や研鑽の場として、あるいは仲間を見つける場としてボランティアを希望する人が増えてきているように思います。

このような状況を踏まえたうえで、次の三点をとくにお願いします。

 

[お願い]

①積極的な主体性を持つこと

やらされている感が強いと義務になり、面白くない。運営方法や商品の選定・開発、売り方の工夫などどんどん自主的にアイディアを出して積極的に関わっていただきたい。

 

②美術館の顔としての自覚と誇りを持つこと

美術館にとって今やショップは欠かせない存在。それを楽しみに来る方も多く、賑わいの創出にもつながる。また、来館者にとっては一番会話をしやすい窓口であり、美術館との橋渡し役となるはず。美術館の印象を左右する大事な存在であるという自覚と誇りを持っていただきたい。

 

③生涯学習の機会としてはどうか

ボランティアとして仲間と働くということ自体、楽しみや生きがいに結びつくものだが、せっかく美術館で働くのだから勉強の場として活用してはどうか。当番のたびに展覧会を鑑賞して小樽の美術について学んでいただくと、お客さんとの会話にも役立つ。加えて、美術館や美術の歴史を学ぶ機会として、

ボランティアの皆さん向けの館長講座を定期的に開催するので、ぜひ学習に役立てていただきたい。参加は自由、お好きなテーマの回だけでもOK。

 

この後、ボランティアリーダーの紹介、ショップの視察、館内見学などを行い、ガイダンスは終了しました。

当館ではこれまでボランティア活動は行われていませんでした。ショップの開設とともに、開館以来初となる画期的な取り組みです。手探り状態の中、お迎えするほうも緊張しているところだったので、お互いを知るよい顔合わせの機会になりました。ともに手を携えて、ショップの運営とボランティア活動を軌道に乗せていきたいと考えています。

 

苫名 真

「山本信彦前会長とのお別れ」

8月30日、当協力会の山本信彦前会長が逝去されました。10月5日に開かれたお別れの会には、故人が小樽経済界に残された功績の大きさを示すように大勢の参列者が集いました。

経済界でのご活躍の一方、山本前会長は文化・美術の分野にも深い関心を寄せ、その継承・普及に尽力されました。

平成14年には、小樽倉庫株式会社本社内に荷役作業に関する歴史的な資料を展示する「街かど博物館『小樽倉庫資料館』」を開設されています。

美術愛好家としても知られ、平成19年に市立小樽美術館協議会委員、平成25年からは同協議会長を務めていただきました。

当協力会における足跡はみなさんご存じのとおりです。平成25年の会長ご就任以来、強力なリーダーシップを発揮され、減少傾向にあった会員数を現在の170名にまで回復させ、協力会主催の展覧会やイベントを積極的に推進されました。

また美術館主催の展覧会への助成、展覧会に関連するグッズの制作販売、令和2年の美術館外壁工事への寄付など、協力会による美術館支援に先頭に立って取り組まれ、さらに本業のお忙しい中、意見交換のためたびたび館にお越しになるなど、まさに物心両面で美術館を支えてくださいました。

最後に自らの発案で熱意を示されていたのが、ミュージアムショップの開設でした。5月に市役所へご一緒して記者発表をしたときにも、「美術館にはこういう場所がぜひ必要なのだ」と意気軒高に語られていたのを憶えています。つい最近もロゴマークの選定に感想を寄せられるなど、とても楽しみにされていました。

2月のオープンをご覧いただきたかったと痛切に思いますが、この新たなチャレンジを成功させることが、私たちのできる何よりの恩返しだと考えています。

長い間、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

苫名 真

「全国美術館会議小規模館研究部会の研修会・会合の開催

 去る9月13日、14日の2日間にわたり、全国美術館会議小規模館研究部会の第53回研修会・会合が当館で開催されました。
 全国美術館会議は1952年に設立された一般社団法人で、国公私立合わせて現在406の美術館が加盟する国内唯一かつ最大の「業界団体」です。
 当会議には6つの研究部会があり、その一つが小規模館研究部会。現在64館が参加しています。これは比較的小規模の美術館同士がネットワークを構築し、よりよい館づくりのため、知恵と技術を共有しようとするもので、毎年持ち回りで研修会・会合を開催しています。
 北海道での開催ということで集まりが心配されましたが、全国各地の17の館と組織から26名の参加者を迎えることができました。
 1日目に行われた研修会のテーマは「地域との協働による芸術文化のまちづくり」。
 事例発表ではまず私が小樽美術館の紹介として、協力会という市民団体に強力なサポートを受けていること、魅力的なレトロな街並みの一角に位置していること、小樽の美術を顕彰するという明確な方針を掲げていることなどをお話ししました
 続いて小樽商科大学の高野宏康先生に「歴史文化を活かした小樽の観光まちづくり」と題して、北前船をめぐる全国のつながりや豪商による美術家支援の話など小樽ならではの文化的伝統とそれを活かした現代の取り組みについてご講演いただきました
 最後に北海道職業能力開発大学校の駒木定正先生から「近代建築史からみた小樽のまちづくりと未来」というテーマで色内地区の歴史的建造物を通して日本・世界の近代建築の系譜をたどるとともに、北海製罐第三倉庫を今後どのように小樽のまちづくりに生かしていけるかという話をしていただきました 

 2日目は総会の後、市内の美術館博物館を視察しましたが、最初に全員揃って訪れたのが心意気博物館でした。まだ開館に向けての準備中ですが、特別に入れていただき、館長で当協力会の新会長でもある秋野治郎氏から丁寧な説明を受けました(写真)
 小樽のスキーに関する資料や小樽商人の誇りを伝える印半纏、さらには明治時代の石造家屋を改造した建物などに参加者の興味は尽きないようで、質問者が列をなす熱心さでした。
 参加者はその後、それぞれ北一ヴェネツィア美術館や小樽芸術村、小樽市総合博物館などを見学し、夕方には次回大阪での再会を期して帰路につきました。
 小規模館はそれぞれ個性的で、設立母体もさまざまです。置かれている環境も異なり、今回のような課題に対しても共通の解決策は簡単には見つかりません。しかしながら小規模館だけあって参加者の顔ぶれは毎年あまり変わらず、結びつきはますます堅固になっています。困ったときには相談ができ、知恵を出し合えるこの関係を大切にしていきたいとあらためて認識した2日間でした。 

 

苫名 真 

「新任のごあいさつ」

 この4月から新明英仁前館長の後を受けて館長に就任した苫名真(とまなまこと)と申します。ごあいさつが遅くなり、誠に申し訳ありません。

まずは簡単に自己紹介をさせていただきます。苫名という苗字が珍しく、「苫小牧の苫です」と説明するたびに「北海道らしい名前ですね」と皆さん納得されるのですが、出身は滋賀県です。新明前館長とは東北大学文学部の先輩後輩で、前館長は東洋・日本美術史専攻でしたが、私は美学・西洋美術史を学びました。卒業後は道立近代美術館の学芸員となり、三岸好太郎美術館、帯広美術館、釧路芸術館勤務を経て、今年3月、近代美術館の学芸副館長を最後に定年退職したところです。

近代美術館では主にガラス工芸を担当していました。おかげで、今はない運河工芸館で現代ガラス展を開いたり、市内の工房をたびたび訪れたりと、ガラスを通して小樽の街とは浅からぬご縁ができました。

小樽美術館については、かねがねその地域に根差した誠実な活動ぶりに感服していました。小樽の美術を丹念に調査し、作家や美術運動をきちんと評価したうえで、展覧会や作品収集という形で顕彰し、市民の皆さんに伝えていく。40年を超す積み重ねは小樽のみならず、北海道の美術史にとっても貴重な財産となっています。

なぜこのような充実した活動が可能なのか不思議に思っていましたが、実際に着任してみて初めて得心がいきました。小樽美術館には陰になり日向になり、その運営を支えようとする地域の人々の存在があったのです。自分たちこそが商都小樽の文化的伝統を守り、次代に引き継いでいくのだという協力会の皆さんの「誇りと心意気」をひしひしと感じています。

大変心強くありがたく思うと同時に、それだけにいい加減なことでは許されないぞと責任の重さを痛感しています。微力ながら学芸員としてのこれまでの経験を活かし、誠心誠意小樽美術館の発展に取り組む所存ですので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

苫名 真

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