[炭鉄港]とはそれぞれ「炭」=空知の石炭、「鉄」=室蘭の鉄鋼、「港」=小樽の港湾を指します。明治以降、北海道の近代産業はこれらを繋ぐ炭鉱鉄道によって発展してきました。その歴史や繁栄ぶりは今も空知の炭鉱遺産、室蘭の工場景観、小樽の港湾・鉄道施設からしのぶことができます。その景観と「北の産業革命」ともいわれるストーリーが令和元年、[炭鉄港]として文化庁が選定する「日本遺産」に認定されたのです。当館の目の前に線路跡が残る「手宮線」も[炭鉄港]の重要な構成要素の一つです。幌内の石炭を小樽港から積み出すことを目的とした官営幌内鉄道の最初の開業区間でした。
今回の展覧会「絵画で見る炭鉄港」はこの3都市に深く関わって活動してきた3人の画家を紹介するものです。炭鉱で栄えた夕張の町の、今は廃墟となった炭鉱住宅や閉鎖された病院などを寂寥感漂う画面に描き出す伊藤光悦。室蘭の製鉄所の圧倒的な迫力に触発され、その機械的なイメージを人間の脳と対比・融合させようとする輪島進一。重厚な銀行建築群や運河・防波堤などにかつての繁栄ぶりを留める小樽の街並みを「黄昏」シリーズとして抒情性豊かに表す羽山雅愉。それぞれの町とその歴史は3人の画風に有形無形の影響を与え、風土性が絵に滲み出ているようです。
北海道を代表する具象画家3人が顔を揃えた贅沢な展覧会。それぞれの作品をじっくり味わうのもよし、絵を通して炭鉄港の歴史に思いを馳せるのもよし。また各作家によるトークも行われるので解説を聞きながらの鑑賞もお勧めします(10/20伊藤光悦氏、10/26輪島進一氏、11/2羽山雅愉氏)。
苫名 真
一原有徳(1910-2010)の才能をいち早く認め、国内外にその作品を紹介したのは神奈川県立近代美術館長の土方定一(1904-80)でした。美術評論家としても知られる土方は折節に助言を与えて一原を鼓舞し、持ち前のチャレンジ精神を引き出しました。土方の衣鉢を継いで同館館長となり、日本を代表する美術評論家となった酒井忠康氏もまた一原の作品を高く評価し、大規模な個展を自館で開催するなど、その制作活動を力強く後押ししています。
酒井氏が小樽に近い余市町出身であり、また叔父の山本茂が一原と同じ小樽貯金支局に勤める美術仲間であったことも二人の関係をいっそう親しいものとしたようです。酒井氏が世田谷美術館長に転じた後も交流は続き、多くの書簡が二人の間に交わされました。70通にも及んだ一原からの書簡を酒井氏は長年大切に保管されてきましたが、このたび一括して当館に寄贈いただくことになりました。「評論家と版画家の交流―酒井忠康への手紙」展はこれを記念して書簡の一部を公開、二人の交流と一原の作風の変遷を紹介するものです。書簡の文面からは一原の制作に対する真摯な姿勢とともに、30歳も年下の酒井に対し、丁重にアドバイスを請う謙虚な態度が伝わってきます。
会期中には酒井氏の従兄妹で一原とも交流のあった現代美術家の池田緑氏による講演会が予定されています(11月16日(土)午後2時)。ぜひご来場ください。
苫名 真
「35人の精鋭がガラスの街・小樽に大集合―現代日本のガラスアート展」がオープンしました。当館では2018年に小樽のガラス作家を紹介する展覧会を開催しましたが、今回はそれを全国に拡大したものです。
日本のガラスアートは1980年代以降活発になり、今では質量とも世界をリードする存在になっていますが、そんな日本の第一線で活躍している作家の最新作を一望できる貴重な機会です。
会場を一巡すると「これもガラスなのか?」と思わず目を疑うような、いわば「ガラスらしくない」作品も数多く見られ、その表現の多様さに驚かれることと思います。各作家がさまざまなアプローチでガラスという素材の特性を引き出そうとした結果で、試行錯誤の末に考案された独自の技法がそのベースになっています。
どんな技法で作られているのか、作品を見るだけではピンと来ないかもしれませんが、各作家から提供された制作映像をご覧いただくと、「ああ、こうやって作られていたのか!」と疑問が氷解します。1作家30秒、17分ほどの短いプログラムですので、こちらもぜひお楽しみください。
また、お手軽な値段でお買い求めいただける各作家の小品と展覧会の小冊子を1階ミュージアムショップで販売しています。小品は会期内限定(9月16日まで)ですので、こちらにもぜひお立ち寄りください。
苫名 真
本日、宇野静山展がオープンしました。宇野静山(1906-2010)は苫前町の生まれ。「現代書道の父」と言われる比田井天来に師事し、小樽市内で長年高校教諭を務めながら研鑽を重ねました。毎日書道展、創玄書道会の創設に深く関わる一方、自ら「臥龍社」を主宰するなど道内書道界のけん引役としても活躍。小樽市文化功労者(1970)、北海道文化賞(1977)、地域文化功労者文部大臣賞(1987)を受賞しています。
展示室には初期から最晩年までの代表作66点が並び、小樽が生んだ巨匠の全貌を一望する絶好の機会となりました。書道ファンのみならず一般の方々にもぜひご覧いただければと思います。
実は当館特別展示室で書道展を開催するのは初めてのことです。私自身も絵画や彫刻、工芸をもっぱら扱ってきたので「書」はまったくの門外漢。どのように鑑賞すればよいのか見当がつきません。
しかたがないので、とりあえず自分の専門領域に引き寄せて鑑賞してみることにしました。つまり、全体のバランスや筆の運び、墨の濃淡、紙への滲みといった造形面に焦点を絞り、絵を見るのと同じように眺めてみたのです。すると作品全体に見られる雄勁な線にまず引き付けられ、やがて個々の作品から大らかな気分や躍動感、凛とした品格などが感じられるようになってきました。
もちろん文字を単にかたちとして見るのではなく意味のある言葉としてとらえることは書を観賞するときの大切なポイントであり、他にも漢字と仮名、書体の違いなどさまざまな要素があることと思います。安易に美術と同一視すると書ならではの魅力や本質がスポイルされてしまうかもしれません。
しかしながら自分なりの見方で向き合うことでこれまで敷居が高く感じられていた書の世界が少し身近になった気がします。これをきっかけに書の味わい方や歴史を勉強してみたいと思っているところです。
苫名 真
モノタイプの一原有徳(1910-2010)、デカルコマニーの宮井保郎(1937-)というそれぞれユニークな版画技法による二人展が始まりました。
モノタイプは金属板などに絵具やインクでじかに描画し、それが乾く前に紙をあてて図像を刷り取る技法です。
一方、デカルコマニーは紙と紙の間などに絵具を挟んで押しつけることによって偶発的な模様を得る技法ですが、繰り返し使用できる版を用いず、一回きりで版面の描画や模様が刷り取られてしまうという原理は同じです。
展示室に並ぶ二人の作品を見比べると受ける印象はずいぶん異なります。金属板の上にインクを塗り、それをペイントナイフなどでひっかいたりこすり取ったりして描画する一原の作品には金属部品が無限に連なったような硬質な光景が展開されています。生命の気配が感じられないその無機質な雰囲気はモノクロームということも影響しているようです。
これに対して宮井の作品は転写が生み出す不可思議な形態と虹のようにカラフルな色彩によってオーガニックなイメージを喚起し、超細密なマティエールともあいまって見る者をミクロともマクロともつかない夢幻の世界へいざないます。
小樽市内で長年額縁店を営む宮井とその顧客であった一原との間には長い交流がありました。約40年前、日本画からデカルコマニーに転じた宮井に対し、一原はいち早くそのオリジナリティを認め、後押しをしました。気に入った作品を自作と交換することもあったといいます。一原有徳記念ホールで開かれるこの二人展を亡き一原もさぞ心待ちにしていたことでしょう。
苫名 真
「中村善策と加賀の北前船主・西谷家」展が本日オープンしました。本展は、今年が中村善策没後40年、記念ホール開設35年に当たることを記念して開催するものです。
西谷家は江戸中期、18世紀半ばに創業した加賀の北前船主です。大阪と松前を結ぶ海運業に従事していましたが、明治22年、五代目庄八の時小樽に進出。小樽倉庫を設立するなど倉庫業、回漕業へと事業を展開し、道内各地、さらには樺太にまで事業を拡大していきました。
西谷家は故郷の加賀とともに小樽にも生活の基盤を置いていたため、事業だけでなく文化面でも小樽と深い繋がりを持ちました。中村善策への支援もそのひとつです。
善策は15歳の時、西谷回漕店に入社しますが、五代目庄八の子息である六代目正治は早くから善策の才能を認め、目をかけていました。善策が画家を志して上京する直前の半年間、絵画に没頭できるよう山荘を提供したり、結婚後の住居を斡旋したりもしています。
善策にとってはその支援がなかったら中央に進出して大成することができなかったかもしれないというほどの恩人であり、2人の交流は善策の大成後も長く続きました。正治の妻貞子を善策が描いた肖像画などからは、家族ぐるみの深い関係がうかがえます。
本展覧会は2部構成で、まず1階の中村善策記念ホールでは、「晴れの装い・櫛かんざし」というテーマで西谷家に伝わる貴重な装身具を紹介します。2階の企画展示室では、小樽と信州を題材にした善策の代表的な油彩画をご覧いただけます。ぜひじっくりお楽しみください。
苫名 真
市民の皆さんと美術館を巡るバスツアーに行ってきました。これは協力会の助成も得て隔年で開催しているもので、今回は後志管内を回りました。比較的近場のコースですが応募は多く、高い倍率の抽選を行い、定員いっぱいの40名の方々にご参加いただきました。
この地域にはユニークな美術館や文学館が5館、4町にまたがって点在しています。岩内町の木田金次郎美術館と荒井記念美術館、共和町の西村計雄記念美術館、倶知安町の小川原脩記念美術館、そしてニセコ町の有島記念館です。羊蹄、ニセコの秀峰と裾野に広がる雄大な田園風景、そして荒波砕ける日本海。変化に富んだ景色を楽しみながら地域ゆかりの芸術施設を訪ねる周遊ルートは25年以上前に「しりべしミュージアムロード」と名づけられ、今ではすっかり定着しました。5館は共通のテーマのもとで毎年同時期に共同展を開催するなど、活動においても結びつきを深めています。
今回は旅程の都合で、この5館の中から3つの個人記念美術館を訪問しました。最初に訪れたのは小川原脩記念美術館です。小川原は日本におけるシュルレアリスムの旗手として活躍したのち戦後は郷里倶知安に戻って画業を深め、やがてチベットやインドをテーマにした滋味あふれる世界へ到達した北海道を代表する洋画家です。ちょうど小川原を中心に創設された後志のグループ展「麓彩会展」の開会式直後で、出品作家のアーティストトークを聞き、また小川原の「麓彩会展」出品作について詳しく解説していただくことができました。
次に向かったのは岩内町の木田金次郎美術館です。木田は有島武郎の小説「生れいづる悩み」のモデルとして知られています。現実においても、有島の助言を受けて岩内の地を終生離れず、漁師を続けながら絵を描きました。激しく奔放な色彩やタッチは、日本海の厳しい自然とじかに向き合うことから育まれたものです。岡部卓館長に開催中の「木田金次郎と岩内美術100年の水脈」展をじっくりと解説をしていただき、木田芸術の魅力に加え、岩内に根付いた美術の伝統についても理解を深めることができました。
最後に訪れたのは西村計雄記念美術館です。共和町(当時は小沢村)出身の西村は戦後フランスに移住し、40年以上にわたってパリ画壇で活躍。柔らかな色彩とたおやかな曲線による抽象画は東洋と西洋の美の融合であると高く評価されました。学芸員の佐藤瑞起さんにお話をうかがい、ユニークな抽象絵画が生まれた背景や作品に込められた意味などについて深く知ることができました。
3人の画家の代表作をじっくり鑑賞するとともに、彼らが生まれ育った場所に実際に赴くことで風土との結びつきも感じられ、充実した美術散歩になったと思います。
お忙しい中ご対応いただいた各美術館の皆様に心からお礼申し上げます。参加者の皆様はハードなスケジュールでお疲れになったと思いますが、次回もご応募いただければ幸いです。
苫名 真
「吉川千香子 土と火の遊び―無邪気な(非)器たち」展がオープンしました。
小樽生まれの吉川は高校卒業後上京し、武蔵野美術大学で彫刻を学びますが、常滑で出会った大甕に強く惹かれて陶芸に転向、以来独学でこの道を歩み続けてきました。
活動は全国各地、さらに海外での個展が中心です。作品は器から人形、動物、椅子、テーブルなど多岐にわたります。
ろくろではなく、おもに手びねりによって作られるその作品は、どれもが子どものように天真爛漫で自由な造形を示しています。白磁に映えるカラフルな色彩もユニークな魅力です。
展覧会名には「(非)器」というサブタイトルがついています。実際、展示されている作品は動物や人形がほとんどですが、吉川が手がける器も、把手が動物の形だったり、お皿に描かれた動物の絵に合わせて間仕切りが立ち上がっていたりと、いわゆる機能本位の器とは対照的なものばかりです。
そのユニークな器を初めて見たとき、私は岡本太郎の「坐ることを拒否する椅子」を連想しました。岡本も座りやすさだけを追求した機能一辺倒の椅子を嫌い、顔がついていたり、凸凹があったりする、むしろ坐り心地の悪い椅子を制作しました。「人間と対等づら」をした椅子を作りたかったのだと語っています。
吉川の器も単なる使いやすさではなく、駄々をこねたり、何かを語りかけたり、「人間と対等づら」をして、共に食事を楽しむメンバーとして作られているのではないでしょうか?
ここに掲載した展覧会チラシは「心意気博物館」で撮影されたものです。当協力会の秋野治郎会長の私設博物館で、実家の薬局を改造し、小樽商人の心意気を示す印半纏や家具、スキーなど先人の暮らしを伝えるために作られました。実は秋野・吉川両氏は幼馴染。どちらも老舗商家でご近所同士だったのことです。
個性的でカラフルな吉川作品ですが、ご覧のとおり、築135年超の古民家にもしっくりとマッチしています。これは作品にも空間にも暮らしの息づかいや手触りが込められていて、人間のように交感しているからかもしれません。
展覧会場でも心意気博物館所蔵の古い家具とともに展示していますので、この雰囲気を味わっていただけるものと思います。ぜひお越しください。
苫名 真
5月25、26日と名古屋市で開かれた全国美術館会議(略称・全美)に出席してきました。全美は昭和27年に設立され70年の歴史を持つ最古最大の美術館横断組織です。現在の加盟館数は約400。全国の主な美術館をほぼ網羅しています。
実は全国の美術館が参加する組織がもう一つあります。美術館連絡協議会(略称・美連協)というのがそれで、こちらは昭和57年に発足した全国約150の公立美術館が名を連ねる組織です。美術館の活動助成や学芸員の海外研修補助(私も若い頃お世話になりました)、また加盟館による共同企画の実施など、公立美術館とその学芸員にとっては大きな支えと励みになる活動が行われてきましたが、残念ながら2021年度末をもって主な業務を停止。実質的には現在、全美が唯一の業界団体となっています。
ところで、施設の老朽化、予算の削減、コロナ禍による観覧者数減少など全国的に美術館を取り巻く状況は厳しさを増しています。また展覧会収支の改善や文化観光推進が強く求められ、大勢の来館者が望めない「地味な」展覧会が開きにくくなってきています。幸い当館では小樽の美術を検証する地に足のついた展覧会活動を継続していますが、このままでは美術館に求められる本来の役割―特に公立美術館においては地域の美術活動の記録や継承、振興がじゅうぶんに果たせなくなるおそれがあります。
こういう時代であるからこそ、美術館同士の横のつながりは大切です。全美では美術館の原則や行動指針を定めるほか、博物館法の改正や著作権使用料改定にあたり、文化庁に要望書を提出するなど美術館を代表して積極的に声を上げています。また、いくつもの研究部会や委員会に分かれ、それぞれが活発に活動しています。先頃の石川県珠洲市を震源とする地震に際してもただちに災害対策委員会による関係各館の情報収集が行われました。当館は小規模館研究部会に参加しており、以前本欄でご紹介したとおり(2022.9.22)、昨年、全国から15館が参加する研修会・会合を小樽で開催しました。
今後もこうしたつながりを通して現在の美術館が置かれている状況を的確に把握し、あるべき姿をたえず確認しながら、地域の公立美術館としての小樽美術館の使命をしっかり果たしていきたいと思います。
苫名 真
本日はミュージアムショップ〈小さな旅〉のオープン、誠におめでとうございます。これまで美術館といえば展覧会を見るために訪れる場所だったのですが、近年ではそれだけでなく、そこに行けばいつでも何か楽しめる、特別な時間を過ごせるような場としても期待されるようになっています。そのための施設がカフェやレストラン、ミュージアムショップなどですが、小樽美術館にもついに待望のミュージアムショップが誕生しました。
まずショップの中身、品ぞろえがすばらしい。近隣のおみやげ屋さんで手に入るようなものではなく、ここだけにしかないアーティストグッズ、それも小樽ゆかりの作家の作品だけが並んでいます。小樽の美術に気軽に触れていただくための新たな発信基地になることを期待しています。
日々の運営は約30名のボランティアの皆さんにお手伝いいただくことになりました。不安もおありのことと思いますが、美術館の顔としての自覚と誇りをもって来館者に接していただくとともに、仲間づくりや美術を学ぶ機会としても大いに活用されることを願っています。美術館にとってもボランティア活動との協働は初めてのことです。美術館の活性化に向けて手を携え、ともに歩んでいくことを楽しみにしています。
〈小さな旅〉というショップ名のとおり、小さなスペースでのささやかな活動かもしれませんが、小樽美術館にとっては大きな可能性を秘めた存在です。今日のオープンは美術館の新たな歴史を刻む第一歩となることでしょう。
ミュージアムショップ開設にご尽力いただいた秋野治郎会長をはじめとする小樽美術館協力会の皆さん、言い出しっぺであり、オープンを心待ちにされながら昨年お亡くなりになった山本信彦前会長に心からのお祝いと感謝を申し上げます。また、長年使われず、廃墟のようになっていたこのスペースを70年前のオリジナルの状態に復元しつつ見違えるような魅力的な空間に再生してくださった美術家の佐藤正行さんにも深い敬意と感謝を申し上げたいと思います。
苫名 真