市立小樽美術館 市立小樽美術館協力会

KANCHOの部屋

埋もれた画家の消息

4年ほど前、私はこの欄(kanchoの部屋6)で若くして亡くなった秋田義一ぎいち(1897前後~1933)という大正から昭和初期の無名の画家について書いた。彼は旭川市生まれで、旭川の初期画壇や小熊秀雄と関係があり、詩人の金子光晴・森美千代夫妻とともに上海で放浪生活を送ったこともある油彩画家である。

日本近代洋画の最も重要な作家のひとりである萬鉄五郎(1885~1927)は、秋田の才能を買っていたようである。その名前は岸田劉生の日記の中にも「秋田」と、ひとこと言及されている(『摘録 劉生日記』 岩波文庫 1998)。この本には「秋田」の語に注釈がついていないが、前後の文脈から見て、これは彼のことだとわかる。なお、『芸術新潮』に洲之内徹が連載した「きまぐれ美術館」には、秋田のことを書いた記事が二つある(1984年6月および同年12月)。6月の記事では画家の原精一に取材して秋田のことを聞いた記事が載っていて、これも萬が秋田の力を認めていた傍証となる内容である。さらに12月の記事では秋田の3点の作品が掲載されているにもかかわらず、所蔵先への問い合わせによる私の調査(2013年ころ)では実物の消息は不明であった。

ところが、ある日突然、このブログの文を読んだ関東地方在住の方からお手紙をいただいた。秋田義一の作品を所有していらっしゃるというのである(!)。作品の写真も同封してある。私は飛び上がって、その方にお礼の手紙を書いた。世の中には無名の作家に再び生命を与えるような、このようなすばらしいコレクターがいらっしゃるのである。この方は「秋田義一」で検索して、私のブログの記事を知ったそうである。まさにネット社会の恩恵であり、少し以前なら、こんなことは起きるはずもなかった。むろん当欄を設けていただいている市立小樽美術館協力会にも感謝しなくてはならない。
私は、少々悩んだ末、お礼だけではなく、思い切って、図々しくも厚かましくも、作品を譲っていただけないかと相談することにした。これは秋田の作品を収集する最初で最後の機会かもしれない。秋田の作品を発見し、展示することは私の長年の研究に沿うことになるからである。そのコレクターの方は、この作品にはキュビスムの影響があり、それは大正時代の洋画では珍しいと思い画商から購入したということで、まさに慧眼であった。
私の目論見は、それを入手したら、すぐさま道立旭川美術館に寄贈しようということであった。この作品が展示されるのに最もふさわしいところである。日本の文化行政の恐ろしく貧困な現状では、購入予算は少ないか全くない公立美術館が多い。旭川美術館に作品の情報を提供しても、なかなか購入できないうちにたちまち数年がたってしまうことが予想できる。その間に散逸する可能性もある。それならば、その現存する希少な1点をすぐに収蔵してもらう確実な手段は、自分で入手して寄贈の意志を示し、同館の収蔵委員会に諮ってもらうことである。私は道立旭川美術館で学芸員を長年勤めたが、今は道職員ではないので、問題なく寄贈できるのである。
先方に以上のような意志を伝え、価格を交渉したところ、全く不躾としか言いようのない話にもかかわらず、快く趣旨を理解してくださって交渉は成立、作品は私の手元に送られてきた。手放していただいた所蔵者の方には感謝の言葉しかない。そして数か月後には収蔵委員会を経て旭川美術館の所蔵品となった。秋田義一作「風景」(1922年、油彩・キャンバス、45.5×52.7cm)、それは西欧の前衛絵画を受け入れたフュウザン会、そして萬鉄五郎からの影響がうかがえる一作である(図版は「北海道立美術館等所蔵作品データベース」の〈作家一覧〉から検索可能です)。
これは自己満足に過ぎないが、私は充足した気持ちになった。自分の調査と研究が、偶然とはいえこの良い結果を生んだこと、そして古巣の美術館に大事な作品を寄贈する形で、恩を返せたのではないかと思ったからである。
後日、私は旭川美術館に解説者として招かれ、この作品をはじめとして所蔵品展に出展された初期旭川画壇の作品の数々について詳細に解説した。今後、この若くして亡くなった画家の短い生涯にも少しは光が当たることを願うものである。

ところで、この話には続きがある。先日、旭川美術館に立ち寄った時、『トスキアナ』第17号(皓星社 2013年6月)、18号(同 11月)に掲載されている手塚登士雄氏の「謎の画家 秋田義一について」および「続・謎の画家 秋田義一について」という資料(コピー)を初めて見る機会を得た。そこには秋田が、魯迅や富永太郎ともつながりがあることなど、特に文学関連について私の全く知らなかった事実が書かれていた。また『純正美術』という秋田が関係した雑誌についても貴重な情報があった。おそらく、この原稿と拙著『旭川の画家たち』(旭川叢書第35巻 旭川振興公社 2015年)に書いた美術関連の出品歴を合わせると、秋田義一の全体像が少しだけ充実しそうである。ということで、作品を寄贈して一仕事終えたつもりでいたが、秋田との関係はこの先まだ続くかもしれないのである。この正体不明の作家の名前を知ってから35年以上にもなろうというのに・・・他のことにかまけて十分調査しなかった報いだが、それも一興である。

                                                   新明 英仁

追記:筆者は令和4年の3月末をもって、市立小樽美術館長を退任いたします。持病の腰痛で旭川の自宅から週2日往復する長時間通勤が困難なことが要因です。完全に引退生活に入るのではなく、今後も大学の講師と美術の関する研究や文化的な活動は続ける予定です。むろん音楽鑑賞や読書、昆虫採集、旅行など趣味の時間を大幅に増やして人生を満喫するつもりです。小樽にも時折は足を運びたいと思います。美術館協力会の皆様には6年間の在任中大変お世話になりました。また、当欄をお読みいただいた皆様、有難うございました。心より深くお礼申し上げます。

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