市立小樽美術館 市立小樽美術館協力会

KANCHOの部屋

まつり

P1100679「潮祭り」が終わってしばらく経つが、今年、新米館長として団扇絵コンテストの審査委員長を仰せつかり、表彰式と講評にも参加した。来年の潮祭りの団扇デザインを決める大事なコンテストである。市内の中学1年生の作品がグランプリに輝いた。出かけると、会場は祭り一色で、多数の観光客も加わり、大混雑。仕事を終えてから夕方の表彰式に出席した私は、周囲の人々の浴衣姿、法被姿の中で、一人背広の上着を着ている有様で、大変浮いた存在だった。こりゃあ来年は、せめて団扇くらいは持っていくようにしよう。

 

ところで、祭りといえば、懐かしい思い出がある。

もう40年ほど前の学生時代の夏、ゼミの合宿のあと、友人たちと一緒に仙台から青森まで行ったことがある。青函トンネルも東北新幹線もない頃である。青森駅に着いたのは8月初旬、ねぶた祭りの始まる日の午後であった。晴れた日でかなり暑い。それとともに、なんとなくモウモウとしたお祭前の気分が町を包みこんでいる。青森の街中に住む友人の家へ寄せてもらってわれわれは少し仮眠した。友人たちは祭りで跳ねて(踊って)いくという。しかし私は、夕方の青函連絡船に乗って北海道へ帰らなくてはならない。

すると女友達の一人が、私を連絡船乗り場まで送ろうと言ってくれた。

町に出ると夕刻が迫り、本通の脇筋にはこれから繰り出すねぶたが準備されている。刻々と祭りの本番が迫りつつある。その友人は、私と一緒に連絡船に乗りこんでしまうのではないかと思うほど、船の近くまで会話しながら送ってくれた。そして陽が大きく傾く。彼女は私の恋人でもなんでもないのだが、後ろ髪を引かれるような気分で別れを告げて連絡船に乗り込んだ。

その直前に夕日が沈んだ。

 

ただ、これだけの思い出である。私を送った女性がその何年か後に心臓の病気で若い命を落としたこともあり、このありきたりな出来事がねぶたの濃厚な熱気と重なって繰り返し繰り返し思い出される。この友人たちに今再び会えたら、どんなにうれしいことだろう。その時その場所に戻ることができたならば、惜しむものなど何もない。

 

祭りは本番のときも良いが、始まる前の期待感、そして終わった後の余韻も良い。当館の「まつり写真展」(9月18日まで開催)を見ながら、そう思った。

新明 英仁

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