市立小樽美術館 市立小樽美術館協力会

KANCHOの部屋

クマとオニ(立春に因んで)

昨春、私の家の裏にある住宅の玄関先に、驚くほど大きい鳥が舞い降りて何かを食べているのを妻が見つけた。猛禽の仲間のようだが、こんな住宅街に住みそうな鳥ではない。窓からしばらく見ているうちにカラスが何羽か威嚇するように集まってきたが、その鳥は歯牙にもかけない。王者の風格である。カラスも全く手を出さない、というより出せない様子である。これは千載一遇だとあわてて鳥の図鑑を調べてみたのだが、それは「クマタカ」だった。後で聞いた話では、近くの公園に留まっていたようだ。

 ともかく、「クマ」と上につく生き物は、強い、大きいというイメージである。

一昨年、旭川郊外から大雪山へ向かう林道で昆虫採集をしながら車で移動していたとき、大きな黒い鳥が木にとまっているのを見た。頭が赤い。クマゲラだ、と思ったときには飛び去ってしまった。クマタカほどではないが、かなり大きい。問題はそのあとだった。目的の場所で車から降り、周囲の樹木などを見ていたところ、笹薮からこちらに近づいてくる大きい動物がいる。姿は見えないが、ごそごそと音をたててゆっくり歩いて来る。この場合、相手の選択肢は3つある。ヒト、シカ、そしてクマだ。咳払いをしてみたが何の反応も無い。私は最初の二つの選択肢を打ち消すと、急いで車の近くへ戻り、ドアを開けて出現を待った。林道へ出てきた姿を確認したとたん私は乗り込んでドアを閉めた。距離は十数メートルほど。向こうはこちらを襲うつもりは無かったらしい。あっという間に茂みに消えた・・・・。

というわけで、同じ日に二度の「クマ」体験をした。どうやら私はクマと名のつくものにまんざら縁が無いわけでもないらしい。しかし、人生は何事も経験とはいえ、野生のヒグマだけは遠慮したいし、今後の遭遇は避けたいものだ。後日、熊よけグッズを増強した。

話は転じて、クマと同様に大きいことや強いことを表わす言葉に「オニ」がある。当たり前の種類はともかく、私的にマニアックなところでは、オニホソコバネカミキリ(鬼細小翅髪切)など。オニクワガタ(鬼鍬形)は小さいクワガタだが、大あごの形から名付けられたそうだ。むろんオニとは言っても所詮は昆虫であり節足動物であるから、怖がるほどのことはない。このほか、鬼刑事、鬼監督、鬼手(将棋)など変異種も存在し、岩手県北上市には「鬼の博物館」もある。

「鬼」には、死者の魂や怨霊の意味もあるが、やはり妖怪としての鬼を連想することが多いと思う。畏怖の対象であり、さまざまな文学や物語で取り上げられてきたので、鬼退治、鬼に食われる話、鬼に変身する話、地獄の鬼の話など際限が無い。絵なら古くは「地獄草紙」「百鬼夜行絵巻」「大江山絵巻」等から浮世絵、そして漫画・アニメ・ゲームまで、大量のイメージが今も生み出され続けている。また、外敵や権力に従わない者を鬼と見立てることも行われた。鬼とされた大江山の酒呑童子も山賊ないしは朝廷の権力に刃向う一族であっただろうし、「蒙古襲来」を描いた絵巻の中には、元軍の兵士を鬼のように見立てたものがある。厄介者扱いされる方から見ればこちらが鬼である。

ところで「オニクマ」なるモノが存在したそうだ。「鬼+熊」であるから、最強である。これは江戸時代の妖怪画集『絵本百物語』(竹原春泉斎・画)に掲載されているモノであって、その詞書によると、牛馬などの家畜を襲う大きくて凶暴な熊のことであるらしい。絵もユーモラスだが熊に近い姿で描かれている。要するに、妖怪ではなく実在したのであろう。

さて、この収拾のつかない漫然としたエッセイを強引に締めくくるに当たって、紹介しておきたいのは鬼才として知られる狩野芳崖(かのうほうがい)の「仁王捉鬼図」(におうそっきず)である。仁王さま(=金剛力士=仏法の守護神)が、鬼を捉えてひねりつぶしている。仁王さまは迫力のある姿だが、その大きな手に摑まれた鬼の目玉が飛び出していて何ともユーモラスである。芳崖は、幕末明治初期の最も才能豊かな日本画家で、その作品は奇抜な発想にあふれている。重要文化財の「悲母観音図」だけが良く紹介されるものの、もっと一般に知られて良い画家である。

ということで、熊を避け鬼を退治したところで、今回は筆を措く。(2020.2.4

新明 英仁

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