市立小樽美術館 市立小樽美術館協力会

KANCHOの部屋

禍中閑話

 二番手は一番手と同格である、と思うことがある。スポーツや学校の成績の話ではない。芸術家のことである。
 話したかったのはモーツァルトとハイドンのことである。現在の日本では、この二人の認知度は相当違う。「モーツァルト=神童」、として誰もが知るところだが、ハイドンのほうは、親しみを込めて「パパ・ハイドン」と呼ばれていても、ハテと首をかしげる人が多いだろう。この二人は親交があったけれども、年齢はハイドンのほうが24歳も上である。モーツアルト(WAMozart 1756~1791)は35歳で亡くなったが、ハイドン(FJHaydn 17321809)は長生きであった。二人は互いに尊敬しあい、音楽も相互に大きな影響を受け合った。これは天才同士に通った心の機微であり、年齢を超えた二人の友情はそう簡単に理解できないかもしれない。
 私はこの二人の音楽を聴くことが多い。そして相当に充足し、心が落ち着く。モーツァルトの音楽は一般に天衣無縫とされる。ハイドンはというと、同じ四字熟語で、創意衝天とでもしておこうか。二人とも天に届くほどの天才で、その違いは認知度だけであると思う。両者とも作曲ジャンルは、オペラ、宗教曲から声楽曲、交響曲、協奏曲、室内楽、器楽曲まで全般に及び、どの分野でも他者の追随を許さない独創性を持っている。ハイドンには「驚愕」「軍隊」などニックネームのついた交響曲が有名だが、ニックネームのない交響曲にも多数の名作がある。しかも、交響曲ばかりに注力したのではなく、宗教曲(ミサ曲、オラトリオなど)や室内楽(弦楽四重奏曲など)に相当念の入った名作がある。
 昨今の情勢は、この二人の音楽を聴きこむのに良い機会である。
 先般入手した交響曲全集のレコード(演奏:アンタル・ドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカ 全106曲+αLP48枚 録音196972年)を全曲聴き終わったが、その天才に改めて敬服した。演奏も見事だが、さらに付属していた解説が素晴らしいのに驚いた。それを書いたのはロビンス・ランドン(HCRobbins Landon 19262009 米)という著名な音楽学者で、モーツァルト関連を含め多数の著作・研究がある。ハイドンのすべての交響曲に言及し、正確に数えていないが日本語の翻訳で400字詰原稿用紙1000枚はあるだろうという労作である(翻訳:岩井宏之ほか)。しっかりとした文献に基づいたものであるのは当然だが、何よりも音楽に対する共感に富んでいる。というより、一曲一曲ハイドンの音楽の持つ魅力を訴えかけてくる強い力を感じるのである。それは資料的な情報ではなく作品の音楽的内容から発したものである。したがって読みながら聴くほうも音楽の未知の魅力に触れることになる。音楽と美術、分野は異なるが、我々も大いに参考とするべき解説である。果たして自分の企画した展覧会のすべての出品作品にこのレベルの解説を書くことができるだろうかと自問自答しなくてはなるまい。
 これで思い出したのだが、小樽ゆかりの吉田秀和(19132012)に素晴らしい美術評論があったことである。吉田は音楽評論家として著名だが美術や文学にも深い造詣を持ち多数の著作がある。その一つ『トゥールーズ・ロートレック』(中央公論社 1983)を読んだのは30年以上前のことだが、作品の内容に恐ろしいほど深く切り込んだ説得力のあるものだったという読後感は鮮烈に残っている。つまり、一般的な解説にありがちな、作家の経歴や影響関係、作風や人柄などを適度に盛り込んで要領よくまとめたものなどとは、次元が違うのだ。すぐれた作品の本質にせまるには、作品の表現内容に深く分け入る必要がある。外部情報を解説するのではなく、まず作品そのものの中身から読み込むべきなのである。作家の経歴や作風などを覚えていい気になっていた当時の私にとって、これは強烈な刺激であった。お前の専門が「美術」だなどと言えるか!・・・お前の言うことなどオヨビデナイ、チャンチャラオカシイと言われているも同然だったのである。
 したがって、作品解説に当たるとき、非才の身ながらも、なるべく作品の魅力や特色から書きはじめるようにしている。この方法は美術作品に新鮮に向き合えるのがいい。小さな発見をする場合もある。なるべく他者の評価や作家の人柄などの先入観がないところから見るよう努力する。ナントカ勲章や人物の社会的地位などを単純に反映して作品を安易に評価したりしないように留意する。芸術の場合、人脈や勲章で著名になっても、没後には役に立たない。
 最後に勝負できるのはナマの裸の作品である。美術でも音楽でも芸術作品の魅力の一つはそこにある。

新明 英仁

 

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