小樽運河・いまむかし
みなと小樽のシンボルでもある小樽運河は長年、美術作家たちの格好のモチーフとなってきた。小樽に生まれ、運河に親しんで育った出身画家はとりわけ生き生きした作品を残し「運河画家」の異名で呼ばれる画家もいました。今回の特別展「小樽運河・いまむかし」展(~7月5日)は、文字どおり、この運河を見つめてきた作家たちの作品を網羅し、当美術館1、2階ホールを会場に「追想の小樽運河」「小樽運河への思い−藤森茂男」「小樽運河のいま」の3部構成とし、さらに特別陳列として小樽運河の埋め立てに反対して全国的運動にまで発展させた商業デザイナー藤森茂男に的を絞った「運河保存運動の父 藤森茂男」のコーナーを設けた。
出品作は合わせて60点に上るが、藤森作品を除き、いずれも当館収蔵の油彩、水彩、版画作品。出品作家は石塚常男、伊藤正、金子誠治、、兼平英示、金丸直衛、木嶋良治、小平るり子、小竹義夫、小林剛、佐藤善勇、白江正夫、鈴木儀市、鈴木傳、角江重一、千葉七郎、冨澤謙、中村善策、羽山雅愉、古屋五男、宮川魏、森田正世史、山田義夫、大和屋巌、渡辺祐一郎(五十音順)と藤森茂男の25人。うち、現役作家は冨澤謙、小平るり子、木島良治、羽山雅愉の4人で、残りはいずれも故人である。
大正末期から昭和初期の戦前末期まで商都小樽の隆盛期を築いた小樽運河は、明治末期から大正期にかけて、港湾施設を運河方式にするか、埠頭方式にするかの論争も経て18年の年月をかけ、大正12(1923)年に完成した年代ものである。運河と石造倉庫群、艀など港湾設備を整えた小樽は石炭などの鉱物資源や農林水産物、生活用品の一大集散基地として隆盛期を実現、色内、手宮、堺、有幌、入船、築港地区に金融街、問屋街、倉庫群を形成、日本銀行小樽支店を構えた色内周辺は「北のウォール街」とまで称される繁栄を誇った。
しかし、戦後の時代の変化とともに物流形態の激変が起こり、商都小樽に”斜陽”が訪れる。高速道路を含む道路網の進展、海運業の変化とともに小樽運河の経済活動に占める役割は終え、臨港道路建設のため運河埋め立てと倉庫群の解体計画が登場したのが昭和40年代。そこに「小樽運河と石造倉庫群は小樽の歴史を物語る遺産だ。その景観は小樽の文化財」と訴えて「小樽運河を守る会」を立ち上げ、保存運動に火をつけたのが藤森茂男だった。「全面保存」か「半分保存」かの論争は「半分保存」でピリオドを打ち、今日に至るのだが、埋め立て整備からほぼ30年を経た現在の運河周辺は”観光資源”と姿を変えて「小樽の文化遺産」として画家たちのモチーフとなっている。
追記:小樽運河の保存運動の歴史については昭和61(1986)年に刊行された大書「小樽運河保存の運動」(B5判、歴史編533頁、資料編412頁)がある。当時の藤女子大学、小笠原克教授の編著になる。