市立小樽美術館 市立小樽美術館協力会

KANCHOの部屋

禍中閑話(3) 耳も節穴 目も節穴 「作曲家とアニヴァーサリー」

 節穴放談の続きである。

 ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(17561791)は最も好きな作曲家である。私はその音楽を、十代前半の若い頃から、指揮者のカール・ベーム、アマデウス弦楽四重奏団、ピアノのバックハウス、ギーゼキング、内田光子、歌手のプライ、シュライヤー、シュワルツコップ、マティス、ルートヴィヒなどの演奏で親しんできた。その後、古楽器演奏が盛んになって、アーノンクールやホグウッドなどの演奏も聴いたが、結局は頭に刷り込まれたベームらの演奏に戻った。そして現在は古楽器も現代楽器も入り混じって多彩な演奏が生み出されている(アバドとアルゲリッチのピアノ協奏曲、シュタイアーのピアノ・ソナタなどは素晴らしい)のだが、聴いた限りでは、モーツァルトの音楽が包み込んでいる秘石の輝きに届く演奏は多くはないようである。もちろん良い演奏は多数存在し、好みの問題もあるから一概には言えない。それに幅広い演奏解釈を受け入れるのが名曲の器(うつわ)というものだろう。

 ということなので、ここでは演奏の個人的趣味を語ることにする。ベームの演奏の良さをいうなら、落ち着いたリズム感と率直で衒いのない表現ということになり、個性も味付けもない感じがするが、実はそれがモーツァルトの音楽そのものが持つ劇的な味わいや遊びの精神を、充実した響きでストレートに伝える独自の演奏となっているのが不思議である。厳しい練習でも知られた彼の指揮は歌劇でも管弦楽曲でもモーツァルトの音楽の特性を強調せずに自然に引き出している。音楽は引き締まり、深みと豊かさを湛えた響きと旋律が湧き上がる。このような指揮者は稀だと思う。

 ところで、モーツァルトの全800曲(ザスロー他編『モーツァルト全作品事典』2006)とされる作品のうち、少なくとも半数は名曲であり傑作だと思っている。耳が節穴の私が言うのだからアテにはならないが・・・これだけを繰り返し聞いていても一生飽きないだろうという数である。もう一人の天才、J・ハイドンを別格とすれば、同時代の作曲家たちが束になっても及ばないレベルではないか?

この18世紀後半の古典派の時代、交響曲(シンフォニア)や協奏曲、舞曲、室内楽、各種楽器のソナタ、そして歌劇やコンサート・アリア、歌曲、ミサ曲、モテットなどは星の数ほども作曲されていた。一人の作曲家が各ジャンルで数十曲作曲するのは当たり前のことだった。モーツァルトは多作だがそれは彼だけではなかった。ヨーロッパ各国の朝廷や貴族、そして教会に仕えた多数の演奏家兼作曲家によって新作が次々と作曲され披露されていた。量産ぶりは現代のポピュラー音楽と同じである。今日では演奏されない楽譜は膨大で、各国の図書館などに眠っている。モーツァルトと生前交流があったり、影響を受けたりしていた同時代の作曲家(別格のJ・ハイドンを除く)では、JC・バッハ(JS・バッハの息子、末子)、M・ハイドン(J・ハイドンの弟)、ミスリヴィチェク、ヴァンハル、カンナビヒ、サリエリなどである。また、モーツァルトと時代の重なる人々としては上記のほかにもボッケリーニ、グルック、チマローザ、ケルビーニなどの大物から群小作曲家までド素人の私が名を知っているだけでも相当な数になる。これは秘曲探しの趣味として手ごたえ十分なのでCDLPを収集中である。似たようなプログラムの多い日本の演奏会では全くと言っていいほど取り上げられない佳曲が多数ある。なんともったいないことか。名曲と秘曲を組み合わせた演奏会をもっともっと増やすべきではなかろうか?

さて、昨年(2020年)は、ベートーヴェン(1770~1827)の生誕250年であった。コンサートなどは世界的に制約される状況が続いているが、CDなど音楽産業のほうは活況であった。ベートーヴェンは、聴けば感銘するけれども、それほど好きな作曲家ではないので静観していたが、たくさんの交響曲全集などが発売されたようである。こうしたアニヴァーサリーの準備は数年前、時には10年以上前から取りかかるようだ。美術館の展覧会でも大掛かりなものは5年以上の準備期間を要するが、作曲家の場合、例えばJS・バッハ(1685~1750)の200曲を超えるカンタータ、J・ハイドン(1732~1809)の106曲の交響曲などは、相当の時間をかけて地道に演奏を練り上げ録音していくしかない。生誕300年の2032年に向けて録音が始まったハイドンの交響曲全集プロジェクトは私も購入し続けているが、およそ15年がかりの構想である。まあ、何と気の長い話か。というより全集完成時に私は生きているだろうか?・・・できれば生きていたいものだ。欲を出すとモーツァルトの没後250年の2041年も可能だろうか。過去にはモーツァルト全集もいくつか出たが・・・生誕300年の2056年はとても無理だろう。生きていれば私は101歳である。

こんな愚にもつかぬことを考えているうちにどんどん時間は過ぎ、引きこもりの退屈もまぎれるのである。

新明 英仁

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