木版画家 金子誠治 愛の絆
小樽に腰を据えて版画界に大きな足跡を残した金子誠治(1914~1994)の画業をしのぶ企画展 「木版画家 金子誠治・愛の絆展」が開幕、静かな賑いをよんでいる(会期2010/11/27~2011/2/13)。 没後17年を迎え、あらためてその生涯で残された木版画を中心にモノタイプ、水彩画、油彩画、ガラス絵など の作品合わせて75点が壁面を埋め、内容の濃い展覧会になったと満足している。金子作品も数点所蔵する 当美術館は没後間もない1996年、木版画の代表作を網羅した「木のぬくもりから生まれる・金子誠治展」 を開催しており、以来14年ぶりの“金子展”となるが、本展開催を機に画文集を制作した峰夫人やご家族は「うれしい展覧会と17回忌になりました」と故人に熱い思いを馳せている。
1914年(大正3)年、砂川で生を受けた誠治(この時は角野姓、戦後ペンネームのつもりで母方の金子姓を名乗る)は5歳時に一家で小樽に移り住み、終生小樽を離れることはなかった。旧制小樽市立中学校で教えを 受けた成田玉泉から、日本伝統の浮世絵版画とは一線を画す「創作版画」の世界を学び、のめり込む。1927(昭和5)年には13歳の若さで道展初入選、1937(同15)年の23歳時には中央の日本版画協会展と 国画会展に初入選を果たしている。この時期には後の版画界の巨匠となる棟方志功との小樽での出会い、そして上京しての親交などと続くのだが、太平洋戦争への突入とその混乱で帰樽、戦中戦後は道展会員として地元小樽はもちろん札幌中心の美術界の発展に貢献する生涯を刻むことになった。
金子誠治は版画について「絵の俳句である」という言葉を残す。小樽を中心とした北海道の風景、晩年取材 旅行に出かけたヨーロッパ、教師として接した子どもたち、金子を支えた家族の姿、花々などをモチーフにした 作品をみていると「絵の俳句」という表現の鋭さに胸を突かれる思いがする。 伝統的な木版と現代感覚を融合させた金子誠治の多彩な仕事によって創作の軌跡をたどり、根底にある作者の 精神性を感じ取っていただければ幸いである。