市立小樽美術館 市立小樽美術館協力会

KANCHOの部屋

怪談・絵画と文学

「これは実際にあったことである。」・・・と書き始めて恐ろしい体験談を語ることができるのなら良いが、残念ながら、そのような経験はない。

しかし、若い頃は、無闇と暗がりや離れた場所にあるトイレが恐ろしかった。その上、ポオやハーンの著作を読んで、勝手に怖がっていた。これは子供の頃の又聞きの又聞きだが、ある病院の長い廊下で夜中に看護師が患者さんとすれ違ったので互いにあいさつをした、あとで思い返すと、その患者さんは昨日亡くなった方であったというのである。ありきたりの話だが、このような話を聞くと、私は震え上がり、病院がとても恐ろしいものに思えてきた。病院でなくとも、日中はたくさんの人が出入りしているのに夜になると閑散として人っ子ひとりいなくなるようなところ、たとえば夜の学校などは、建物が新しくてきれいでも、やはり恐ろしい場所である。

この「恐怖」の源泉はどこにあるのだろうか。私の場合、年齢を加えるにつれて、以前ほど幽霊や妖怪は怖くなくなった。今でも一番怖いのは「闇」である。一寸先も見えないような漆黒の闇である。明るさに慣れた現代では、なかなか出会えない闇である。

趣味の昆虫採集で、夜行性の虫をさがすために森の中で夜中に一人だけという体験は何度かあったが、それは「えもいわれぬ」恐ろしさであった。昔の人が闇の中に百鬼夜行を想像した心理が少しはわかるような気になる。闇の中では人間の感覚は非常に鋭敏になり、いろいろな想像に頭の中が掻き乱されるからである。

さて、怖い物好きで怖がりの私が、美術館で一度開催してみたいと思ったのは、幽霊・妖怪画の展覧会であった。結論から言うと、これは実現しなかった。というのも、頭の中であれこれ考えているうちに、ほかの美術館で開催されてしまったからである。それは内容のかなり充実した展覧会であり、二番煎じはつまらないということで、企画は頭の中で立ち消えになった。とは言っても、いろいろと考えたり調べたりしたことが役立つことはあるだろうと思っていた。

やがて、その機会は到来した。一時、美術館から北海道立文学館に異動した時に「怪奇幻想文学館」という展覧会を企画開催することができたのである。ほぼ半年間の準備で開催にこぎつけたが、これが美術館の展覧会であれば、準備に3年はかかっただろうと思う。というのも、美術館は「実物の展示」が基本であるからだ。作品の出品交渉や実物の調査に非常に時間がかかるとともに、作品の借用、返却、保険その他にかかる煩瑣な事務手続きも多い。物量も大きいので必然的に予算も多くなる。予算や交渉の成り行きによっては出品をあきらめざるを得ない作品が出ることもある。これに比べると、文学館の展覧会は、資料(多くの場合書籍や書簡、自筆原稿など)の借用は、手持ち輸送か貴重品扱いの郵送で済む場合が多いし、展示は文学作品からの「部分引用」を活用すればよい。しかもこの展覧会に出品したい資料(書籍など)は、ほとんど道立文学館と私の手元にあった。煩瑣な事務が少ない分、もっとも大切な展覧会の内容に集中できるのである。ただし、ゴマンとある怪談の読書と整理には相当な時間がかかった。

ところで、展覧会の準備中、ある大切なことに気づいた。怪談と妖怪画、両者互いに深く関連するが、実は本質を異にするということである。

日本の場合、実在するとして恐れられていた妖怪や幽霊は、室町時代から江戸時代にかけて次第に絵画化され、キャラクター化していった。江戸時代に膨大な量が描かれたそれらの絵画の多くは、歌舞伎等の怪奇シーンをもとにした浮世絵と読本や黄表紙などの文学の挿絵であり、庶民はそれを怖がるよりも楽しんでいた。江戸時代後期には「コンニャクの幽霊」「豆腐小僧」などの出来立てホヤホヤの化物キャラクターまで登場した。画家にも庶民にも豊かな遊びの心があった。絵画の場合、リアルに恐ろしく描こうとすればするほど、化物の正体は丸見えとなり、真の恐怖から遠ざかるのである。一方、挿絵のない文章だけの文学の場合には、絵のように明瞭で具体的なイメージは登場しない。ある程度は読者の想像にゆだねられるので恐ろしさが煽られる。そして時には、幽霊も妖怪も怪物も登場しないのに、読者を心底戦慄させる作品がある。「えもいわれぬ」恐ろしさである。これこそ作者の手腕が問われる文学の真骨頂ということになるだろう。

 楽しんだり怖がったり、怪談に関わる絵画と文学は実に面白い。幽霊や妖怪は、多くの学者が研究対象として取り上げているように、芸術のみならず神話、宗教、民俗、歴史などの分野に関連する深く幅広い内容を持つ。なお、市立小樽文学館では、上記した「怪奇幻想文学館」の小樽特別ヴァージョンが開催される(8/49/7 会期は予定)。美術館で行われる現代作家との国際交流展「スウェーデン芸術祭」(7/21~9/16)とあわせて、ぜひご覧いただきたい。

新明 英仁

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