市立小樽美術館 市立小樽美術館協力会

KANCHOの部屋

禍中閑話(4) 読書

旅行するときには、必ず1~2冊の本を鞄に入れていく。旅行できないときは、本の中で旅を楽しむ。時には夢の中でも。

汽車に乗りながら本を読むのはいちばん楽しい。それから、眠くなるまでベッドで読むのも良い。主に文学(小説、詩、随筆)が中心である。週二回、旭川と小樽を日帰り往復通勤するので、汽車の中での読書は進む。寝る前に読む本は、ほかにある。日中気が向いて読む本も別のことが多い。

つまり、常に2・3冊の読みかけの本がある。老化した頭で内容が混乱しないように傾向が別なものを選ぶことにしている。ひとつは日本の古典文学、これはベッドでゆったりと読むのがよい。休みの日中に読むのも良い。二つ目は、日本近代の小説など、これは汽車の中で読むのがよい。三つめは翻訳文学、これも寝る前が多い。

ここ数年間の読書の成果?といえば、プルーストの『失われた時を求めて』を読破したことである。私が読んだのは井上究一郎個人訳の世界文学大系版(筑摩書房)で、分厚い5冊の本、それは学生時代に一度挫折して、40年以上本棚に置いてあったものである。この小説はストーリーがあるようなないような、どこから読み始めても読めるような、読みだすとある程度読んでしまうような、不思議な本である。ゆっくりと約10か月かけて読み終えたが、読後感というと、この偉大な文学の前では、すべての言葉が沈黙してしまうのではないか、すべての小説家を目指す人が意気阻喪するのではないか、と思われるほどであった。満足度は非常に高く、自分の精神構造が少し変わったのではないかとまで思えるほどである。実際に、時間、記憶、人間の本質などに関する洞察が深まったような気がしたのである。

 寝る前に読破した長編をもう一つ、アリオストの『狂乱のオルランド』(脇功訳、名古屋大学出版会)、このイタリア・ルネサンスの掉尾を飾る叙事詩は、予てから読みたいと思っていた。というのは、これに関連した歌劇をいくつも聴いていたからである。ヘンデル「アルチーナ」「オルランド」、ヴィヴァルディ「狂人を装うオルランド」「怒れるオルランド」、ハイドン「騎士オルランド」などで、いずれも名作ぞろいである。特に、ヘンデルの2作は魔法オペラとして名高い。またヴィヴァルディの膨大な器楽や声楽の秀作群を知れば、その中の「四季」はそれなりに良い一曲にすぎないという認識もできる。ハイドンの歌劇はそれほど知られていないが、充実し生気に富んだ音楽は、天才の証である。長期にわたって文化芸術に大きな影響を与えたのがアリオストだったのである。ということで、音楽好きとしてはぜひ読んでおきたい叙事詩だった。

ストーリーは波乱万丈であるが、中世のキリスト教側から見たキリスト教徒とイスラム教徒との戦いを主題としている。登場人物はオルランド(「ロランの歌」のロランと同一人物)、ルッジェーロ、リナルド、アストルフォ、タンクレディ、ブラダマンテ(女性)らの英雄たち、美女アンジェリカ、魔女アルチーナ、異教徒側の戦士アグラマンテ、クロリンダ(女性)など多士済々。オルランドとともに物語の主人公であるルッジェーロは天を駆けるヒッポグリフにまたがり、海の怪物の生贄とされた美女アンジェリカの危機を救うのである。これは絵画の主題としても好まれたもので(アングルの作品が有名、ルドンやベックリンも描いた)、ギリシア神話のアンドロメダを救うペルセウスと天馬ペガサスに祖型があるのは言うまでもない。

一転して、日本の古典文学では『落窪物語』を読んだが、これは日本版のシンデレラ(灰かぶり姫)物語とされている。大長編の『源氏物語』に先行する作品らしいが、『源氏』よりは読みやすく、ストーリーもわかりやすく、話の長さも中編程度である。東西共通と言えば、『古事記』のスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治してクシナダヒメを救うのも、英雄が間一髪美女を救うというパターンで、ギリシア神話やオルランドと根源は同じだろう。

ということで、芸術は互いに影響を与えるだけではなく、歴史や神話と深く関連し、さまざまな人間共通の思考にも結び付く。結果的に、人間とは何か、という根源的な疑問への回答に軟着陸することだってあると思う。上記のことは、いろんな解説本にも書かれていることだが、実際に読んだり見たり聴いて追体験することによって、単なる知識ではなく自分の脳の滋養とすることができる。この年になってもそれができることが幸せであり楽しみなのである。

 

新明 英仁

 

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