市立小樽美術館 市立小樽美術館協力会

KANCHOの部屋

瀧口修造展

 スペインが生んだ世界的画家ジョアン・ミロから「『プロフェッサー』と敬愛された唯一の日本人」と言われたという逸話が残る詩人で美術評論家の瀧口修造(1903~1979)の業績と生涯をたどる特別展「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム展」(5月18日~6月30日)が市立小樽美術館・文学館の両館で開かれ、静かな雰囲気に包まれて美術愛好者ら来館者の目を楽しませている。この展覧会は財団法人地域創造の平成25年度公立美術館巡回展支援事業に指定・助成を受けて小樽を皮切りにこの後、萬鉄五郎記念美術館(岩手)、天童市美術館(山形)、足利市立美術館(栃木)を巡回するプランである。
 瀧口修造は明治36年、富山県富山市の医師の長男(姉2人)に生まれたが、小学6年に父親が急死、青年期に母親も失う悲劇に見舞われた。両親は家代々の医師への道を望んでいたが、10代から文学や洋書に親しむ才能は慶應義塾大学に道を求めた。ところが同大入学の大正12(1923)年9月1日、関東大震災に遭遇、被災者救援などに追われ力尽きてその年の暮れ12月に小樽に嫁して住んでいた長姉を頼って来樽した。この時20歳、青春の真っ只中だった。その頃の小樽といえば日清、日露戦争を終え北の商都として黄金期へと急成長を進めていた時代で、例えば銀行の出先の数でみると札幌の10行に対し 19行と隆盛を誇っていた。さらに興味深いのは瀧口修造と小林多喜二は生まれ年は同じ。その2歳下が伊藤整である。 瀧口は大正14年春、長姉の強い助言で慶應義塾大学に復学、そのまま研究者として同大教授の生涯となるのだが、青春期の3人が当時の小樽の空気の中で街中ですれ違っていたのではないかと想像するのは楽しい。奇縁を思うのである。
 大学復学後の足跡は同大に在籍する西脇順三郎との出逢い、そして西洋発祥のシュルレアリスムとの出合いとその国内への紹介、日本の現代美術への多大な影響とその功績が積み重ねられていったのだった。
 今回の展覧会は、瀧口が初めて念願の訪欧を実現した昭和33(1958)年を軸に組み立てられている。この旅でパリを中心に スペイン、イタリア、ベルギーなどの各地を巡り、親交を重ねたジョアン・ミロをはじめ、アンドレ・ブルトン、サルバドール・ ダリ、マルセル・デュシャン、マックス・エルンスト、ルネ・マグリット、マン・レイらシュルレアリスムの世界を築き上げていく芸術家に直に触れることになったのだった。
 彼らのオリジナル作品も含め瀧口自身の作品や著作原稿、コレクションなど多数が陳列されているが、今回展は美術館、文学館が同居するこの施設にとって格好の内容になったと感じている。付け足しのようになるが、瀧口修造の没年昭和54 (1979)年は当美術館の開館年であり、ここにも奇縁を感じている。
 また、今回展の企画に当たり、貴重な収蔵品を貸与して頂いた富山県立近代美術館をはじめ慶應義塾大学アートセンター、大岡信ことば館、多摩美術大学美術館、岡崎市美術館、北海道立近代美術館、新潟市美術館、宮城県美術館、世田谷区立 世田谷文学館ほか個人コレクターを含む皆様の御協力に深く御礼申し上げます。

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