汽車の記憶
私は旭川の旧国鉄の官舎で育ったので、家の裏は少し行くと線路の土手だった。旭川駅に近かったので、線路は幾重にも分岐して広がっていた。
数十両編成の貨物列車が自宅の窓からすぐそこに見えた。何両編成か数えて楽しんだ記憶がある。むろん、汽車の通る音には慣れていて、騒音とは思わなかった。夜も眠ることができた。今でも電車に乗ればその音は眠りを誘う。
小学校時代、私は時々その線路の向こうに流れる忠別川まで遊びに行った。現在のように猛烈な速度で走る電車もなく、蒸気機関車はゆっくりと走っていた。周囲は駅の近くであるにもかかわらず、自然の宝庫だった。雑木林も河畔林もあった。小さな水溜りに小型のゲンゴロウが泳いでいた。朝、官舎の壁に大きなクワガタムシがとまっていた。美しいアカネトンボ(ミヤマアカネ)が飛んでいた。昆虫の採集に親しみ、穴が開くほど図鑑を睨んで種類を調べた。今でもその趣味が続いているのは、この体験から得たものである。
小学校高学年になって、それが変わった。函館本線の電化複線工事である。当時のことであるから自然を守ろうという意識は少なかったようである。忠別川は改修され掘り起こされ、河畔林はなくなった。身近だった自然が遠ざかった。それから半世紀後の現在の旭川駅裏は、緑化され、樹木が植えられ、自然を取り戻しつつあるが、それは何か、過去の償いであるかのように私には思われる。
さて、母の実家が札幌の石山だったこともあって、毎年のように家族に連れられて汽車に乗り、遊びに行った。その実家のそばを定山渓鉄道が走り、窓から山際を走る電車が見えた。現在は住宅街だが、当時は一面の田んぼで、たくさんの蛙を採って遊んだ。祖父母に連れられて汽車に乗ったこともあるが、札幌駅の手前の苗穂駅が広くて大きいので、札幌に着いたと勘違いしたことがあった。
それだから、子供の頃、古い札幌駅舎には何度も降り立った。その後は都市化・商業化され、今はその懐かしい景色のかけらも残っていない。現在開催中の大月源二展(~7/2)には、「春雪の札幌駅構内」(1966 個人蔵・当館寄託)という私が親しんだ50年前頃の札幌駅の様子を髣髴とさせる油彩画が出品されている。雪と汽車とホームと街並み。雪国の生活感が滲み出た佳品だ。
日本では、汽車や電車を取り込んだ絵画作品で一般に知られたものは少ない。あえてあげるなら池袋モンパルナスにもゆかりのある長谷川利行の作品であろう(鉄道博物館蔵・さいたま市)。一方、海外ならターナー「雨・蒸気・スピード-グレート・ウェスタン鉄道」、モネ「サン・ラザール駅」やデルヴォーのいくつかの作品が良く知られていてすぐに思い浮かぶ。ともかく鉄道にはそれなりに深い思い出のある私が石炭・海産物輸送の動脈であった旧手宮線横の美術館にJRで通勤するようになったのは、何かの縁であろうか。
とすれば、ひとつの夢として北海道と小樽市の鉄道にかかわる美術の展覧会を考えてみるのも悪くはなかろう。本州ではすでにいくつかの企画展が開催されているようだが、北国の特色を反映した内容の展覧会企画である。小樽市総合博物館では蒸気機関車に体験乗車することができるし、鉄道関係の常設展示が多数ある。視野を広げると文学にも面白い作品はたくさんあり、絵本にも鉄道は多く描かれている。博物館や文学館・図書館と連携することもできそうだ。問題は上記の大月源二のような北海道ならではの良い作品(絵画・写真・デザインなど)が現実に集まるのかどうか?これは手宮線を散歩しながら考えた夢のような話だが、展覧会はそれから始まることもあるから面白いのである。
新明 英仁